遅咲き成功者の共通点・特徴から学ぶ!人が何歳からでも成功できる理由

いわゆる「成功者」と呼ばれる人達は、10代、20代前半から活躍している人達だけでしょうか。成功者とは、若くから才能にあふれ、人生に何ら不自由することなく、栄光だけを味わうことができる特別な人種なのでしょうか。

確かに一部そういった人もいるかもしれませんね。だけど多くの場合は数多くの挫折と苦難を乗り越えた先に成功を掴みとっているという人がほとんどです。何年も何十年も成功を信じ続け、晩年でやっと成功に至ったという経営者・成功者は実はたくさんいます。

世界で活躍する成功者はみんな遅咲きだった!

あの世界的企業の創業者も、あのベストセラー作家も、あの超有名な歌手や女優も俳優も、実はみんな遅咲きです。遅咲き成功者の共通点・特徴から、人が何歳からでもいつでも成功できる理由が見えてきます。

安藤百福

チキンラーメンやカップヌードルで有名な、日本人なら誰でも知っているあの日清食品を創業した安藤百福(あんどうももふく)裸電球を吊り下げたほったて小屋を自宅の裏庭に作り、1日3時間程の睡眠で朝の5時から毎日毎晩ラーメン作りに没頭しました。

妻の仁子が台所で天ぷらを上げる姿を見て「瞬間油熱乾燥法」を思いつき、1958年試行錯誤の末ついに開発されたのがチキンラーメンでした。そしてその年に会社を「日清食品株式会社」に商号変更。

この時、安藤百福の年齢はなんと48歳!「人生に遅すぎることはない」「ひらめきは執念から生まれる」「私が即席めんの開発にたどり着くには、それまでの48年間の人生は必要だった」と語っています。

伊能忠敬

日本で初めて日本地図を作った人として有名な伊能忠敬。その伊能忠敬が地図を作り始めたのがまさか50歳を過ぎてからだったとは驚きです。しかも江戸時代、当時はもちろん「歩き」です・・。

51歳で天文学者に弟子入りし、蝦夷地で実際に測量を始めたのはなんと56歳の時。それから17年間全国各地を隅々まで徒歩で歩き回り、測量を終えた時は72歳の時でした。地球一周分、約4万キロの距離を歩いたとされています。

歯はボロボロ、体はズタズタ、今よりずっと不便な時代を生きてきた昔の人はすごいとか言いますが、もうこの人は次元が違いますよね。驚愕です。

レイ・クロック

米ハンバーガーチェーン、マクドナルドと言えば知らない人はいないでしょう。しかしマクドナルドを世界一のハンバーガーチェーンにしたレイ・クロックが、外食フランチャイズに乗り出したのは50代からだったということを知っている人は少ないでしょう。

マクドナルド兄弟が店の代理業者を探していた1954年頃、その店に訪れたのが52歳で初めて起業することになるレイ・クロックでした。その後フランチャイズ権を獲得してからわずか3年で、総計1億個のハンバーガーを売り上げます。

マクドナルド兄弟のハンバーガーショップでしたが、フランチャイズ展開でファストフードのカルチャーを世界中に広め、世界的企業に育て上げたのがレイ・クロックです。生涯で5億ドル以上の富を築きました。

JKローリング

世界中で大ヒット作品となった「ハリー・ポッター」シリーズですが、その作者であるJ・K・ローリング(本名ジョアン・ローリング)も本が売れるようになるまで大変な苦労をしている成功者の1人です。

27歳で離婚、シングルマザー、うつ病、自殺未遂、人生のどん底にいたローリングは、娘と2人生きていくために週70ポンド(約1万円程度)の生活保護を受けながら、ネズミが住むようなぼろ家で苦しい生活を強いられていました。

うば車で寝る娘ジェシカの横で、コーヒー1杯を頼みカフェで1日中黙々とハリーポッターと賢者の石を執筆していたそうです。ハリーポッターを書くまで小説を何も書いたことがなく、成功する保証なんてどこにもなかったのに。

30歳でついに小説を書き上げ、かつて生活保護を受けていたローリングはその後「歴史上、最も多くの収入を得た作家」となりました。

エスティローダー

1946年に誕生した化粧品メーカーであるエスティローダー(Estée Lauder Companies)は、全米のデパートにおける化粧品市場の実に45%を占め、世界150ヶ国以上でその製品を販売するグローバル企業です。

元々化粧品販売レディだったエスティローダーは、借金をして40歳の時にエスティローダーコスメティック社を設立。眠る時間はほとんどなく2人の子供を育てながら働きましたが、初年度の利益は全て会社の運転資金に消えました。

香水「ユース・デュー」が大ヒットし、週平均300ドルだった売上が5000ドル以上にまで膨れ上がったのは47歳の時。女性の社会進出を後押しする役割として、女性が自分に自信をつけるための手段の一つである化粧品に命を懸けた起業家です。

ジェームズ・ダイソン

サイクロン掃除機を開発したあの英Dyson社の創業者であるジェームズ・ダイソン。自宅で使っていた掃除機の吸引力が落ちてゴミを吸わなくなったことをきっかけに、物置スペースで1人新しい掃除機の開発に取り組みます。

31歳からスタートし、1台目の試作品はほとんど段ボールでできていました。15台目の試作機ができた時には、3人目の子どもが生まれていた。2627台目の試作機のころ生活はまさにギリギリ。友人からは「ちゃんと仕事に就け」と言われても耳を貸しません。

さらに開発費は銀行から借金し、3727台目の試作機ができたころ妻は生活費の足しにするため美術教室を開いていた。自己破産寸前まで追い込まれたダイソンは、5127台もの掃除機を作り、ついにGフォース(遠心力)型サイクロン掃除機を完成。

39歳まで単なる「街の変わり者」と呼ばれ、それまで妻の収入に頼って暮らしていたダイソンですが「紙パックよ、さようなら」のフレーズとともに、そのサイクロン掃除機を世界中で大ヒットさせることに成功しました。

どん底ホームレスから這い上がった兼元社長

オウケイウェイヴを創業した兼元謙任(かねもとかねとう)社長はホームレスから這い上がった経営者です。公園で寝泊まりし、炊き出しやコンビニの廃棄弁当を食べて生活し、パソコン一つデザインの仕事で何とか食いつないでしまた。

ウェブデザインを全く知らなかった兼元社長は、何とか仕事をもらうためにホームページを作れると嘘をつきます。1週間後の納品に間に合わせるために、図書館でHTMLの本を借りて読むことから始めました。

夜は公園のトイレの中で図書館で借りた本を読み漁って、一からHPを作りを開始。昔の重いパソコンで、便利なHP作成ソフトもなく、なんとHTMLのタグ打ちでホームページを作り上げてしまいます・・。

その後も公園でパソコンを叩き続けた兼元社長は、ついにホームレス生活から抜け出しQ&Aサイトであるオウケイウェイヴ創業に至ります。そしてあの楽天の三木谷社長から出資を受けることに成功し、ついには会社上場までこぎつけました。

今のように簡単にホームページが作れてしまうHP作成ソフトSIRIUS のような便利なソフトでもあれば別ですが・・、本当に信じられないハングリー精神です。僕はアフリエイトやHP作成でつまずいた時や苦しい時はいつもこの動画を見るようにしています。

コンビニの期限切れ弁当を食べホームレス生活をしていた男が、上場企業の社長にまで這い上がることができた。どんな状況でも死ぬ気でやれば成功できないはずがない。苦しい時、なかなか成果でない時、兼元社長には本当に大きな勇気をもらえました。

80歳で起業した和田京子不動産

そして最後はこの方、御年85歳のおばあちゃん社長である和田京子社長です。一度も就業経験のなかった専業主婦が79歳で宅建の資格をとって80歳で不動産会社を起業。数年で年商3億円以上の会社に成長させます。

ここまで来ると、もう成功できない理由なんてないってことが分かりますよね。あるとしたら自分が楽をしたい気持ちとか、なまけ心とか、もうそれくらいじゃないでしょうか。

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